ある夏のこと、この社に百日詣でをするひとりの娘がいた。母親の病気平癒が目的だった。しかし不幸にして短命、母親は満願の日を待たずにこの世を去った。
娘の悲しみは非常なもので、見るに見兼ねた竜は、ある夜天に昇り、雨水のもとになる霊水を手に入れ、池に帰ってきた。
その霊水はまたの名を「忘れ水」と言い、人間がそのまま飲んだ場合は、ありとあらゆる悲しみを忘れさせるという効験があった。
竜はその水を娘に与えた。おかげで娘は母を亡くした悲しみを忘れ、平静を取り戻すことができた。
それ以来、上池の水は「忘れ水」としてもてはやされるようになった。』
時を経るにしたがって、この話の伝える「忘れ水」の内容が変化してゆき、「悲しみを忘れる」ことから「人間関係を忘れる」、 つまり「精算する」ということへと転化していったようです。
そして、上池をいわゆる「縁切り」の場としてとらえていた風習から、冒頭に掲げたような俗信が生まれたのではないのでしょうか。 |